頑張らないように頑張る。

怠惰と努力の狭間

『前提条件の共有』ができない人とのドライブ🚗

ドライブって楽しいよね。

目的を持って寄り道しながら行くドライブも好き。

目的もなく適当にドライブするのも好き。


🗣今回の話の発端

Twitterで見かけたこの流れ。

めちゃめちゃ分かる〜〜〜🙃🙂🙃🙂🙃

前提条件の共有は本当に大事。 それをすっ飛ばして結論だけ急ごうとする人いるけど、そういう人とまともに話せた試しがない。


例えば「結婚したいか」という話に対して、「したくない」という結論だけ聞いてどう思うだろうか。

その裏には、異性が好きになれないとか、家庭内暴力されてたから怖いとか、経済力に自信があるからとか、様々な理由があるはず。 その理由にも更に裏がある事もあり、同性愛者だったり、自分自身にも攻撃的な面があって傷付けた経験があったり、自分の金は自分のためだけに使いたいだったり。

それらを聞かずして「あの人結婚したくないんだってさ」だけで片付けるのは、無神経も甚だしい。


🤔「討論・議論・対話」の違い

以前のエントリーにも書いたので、そちらから抜粋する。

まず「討論」であるが、記事にもあるようにマウンティングである。
そこには許容力という言葉の欠片も見られず、むしろ信念を貫いた清々しい気概も感じられる。

次に「議論」であるが、何かしらの結論を出す事がゴールとなる。
自分や相手の意見を出し合って擦り合せ、集団として一つの結論を導き出す。
導き出した結論については、自分の意見が取り入れられる事があるものの、納得できない事も稀にある。

最後に「対話」であるが、結論を出さないのがルールである。
結論を出さないというのは、"集団としての結論"であり、"個人としての結論"とは異なる。
そのため、意見を出し合って擦り合わせても、自分の中で結論が導き出せれば、それが集団と合ってなくてもよい。
(もちろん、自分の中で結論が出なくても問題はない。)

公的な場で行われる際は時間制限を設けて行われるとは思うが、個人的には時間制限はなくてよいと考えている。 長くなろうが、遠回りしようが、横道に反れようが、後退しようが、何だっていい。

これは「自動車の運転」に似ていると感じる。 一つの自動車に乗り込み、一つの目的のために、寄り道や遠回りをしたり、カーナビを用いて最短経路や渋滞回避をしたり。

ただ、最後まで一緒に同乗していてもらわないと困る。 急に面倒臭くなって途中下車されても困るし、「この人は最後まで同乗してくれないんだな」と思うと、何か急に冷める←

運転に例えると?

説明のしやすさのために、議論→対話→討論の順で考えてみる。

議論

議論はその性質上、「目的地を決めた上でのドライブ」であると言える。

目的地を決め、「最短ルートで行くか」「渋滞回避するにはどのルートが最適か」「どこで寄り道するか」「何時に到着する予定にするか」などを話し合う姿は、議論的であると言えるであろう。 また、こうした話し合いが『前提条件の共有』という事になる。

対話

対話は、議論とは違い結論を出さない事に意義があるため、「目的もなく楽しく運転するドライブ」であると言える。

目的はないものの、「いつもと違う道を行ってみよう」「もう少し遠くまで行ってみよう」「普段寄らないところに寄ってみよう」などと様々な話が飛び交う中で、新しい道やスポットの発見や遠くだからこそ見える景色など、新しい思考に触れる事ができる姿は、対話的であると言えるであろう。 これもまた、こうした話し合いが『前提条件の共有』という事になる。

討論

討論は、勝敗やマウンティングの要素も孕むため、「カーレース」であると言える。

この例えが正しいのかと言われると非常に難しい部分ではあったが、各個人の「このマシンの方が速い」「このエンジンの方が耐久力が上がる」「このボディの方が軽量化できる」という熱い思いを、レース場で戦わせて勝敗を決めている姿は、討論的であると言えるだろう。(言えるのだろうか...??) エンジンやボディなどに対する知識そのものが『前提条件の共有』という事になる。

その他

運転にはドライバーが必要であり、地図を見て誘導するガイドも必要である。 討論も議論も対話も、進行的な役割のドライバーや、司会的な役割のガイドが必要である。

ドライブは一人でする事もあるだろう。 しかしながら、頭の中で一人で意見を戦わせる事もある。

こういった点でも、それぞれは似ていると言える。

🚗『前提条件の共有』ができない人とのドライブ

例えば、議論的ドライブの場合。

間の話し合いに参加していない状態で同乗すると、「もっと最短ルートあるだろ」「何でここに寄り道するんだ」「もっと早く到着できないのか」などと文句を言ってくる事だろう。 『どこに行く』という結論だけでなく、『どうやって行く』という過程に参加していれば、そのルートを選んだ理由やそこに寄り道する事に決めた理由が分かるはずだ。


例えば、対話的ドライブの場合。

そもそも目的のないドライブなのに、「どこに行くかも決めてないの?」「無駄に遠く行っても意味なくない?」など文句を言ってくる事だろう。 対話とはその性質上、過程を楽しむものであり、結論を出したいものでないため、結論ばかり求められても同乗者が困るだけである。


このように、前提条件の共有ができない人とのドライブは、非常に疲れるし面倒臭い。 だから二回目は呼ばれない。 二回目呼ばれないから、当の本人は反省する事なく、また同じ過ちを繰り返す。 非常に残酷。


🙂まとめ

Twitterに投稿されてたから拾って書いたけど、最近まさに会社でこんな感じの事があって、イライラしてたから丁度良かった。

頭の整理にもなったし、改めて「運転と似てるなぁ」とも思えたし。

本当、前提条件の共有ができない人との話し合いは、疲れるし面倒くさいし、もう関わらんとこうってなる( '-' )イライラする卍


🤔そんな事より、

Qiitaのアドベントカレンダーに投稿しました。明日投稿されます。

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投稿した記事には書いてるけど、「ツールについて書いてほしい」って言われたから、「ツールなら何でもいいんだなー。"必要なツールを作れるくらいの簡単な知識は持っておいてほしい"って事でも書こうかなー」と思ったら、そうじゃなかったみたいで、しょーもない記事になりました( '-' )

哲学的な話も少し入れておいたので、暇だったら見てやって下さい( '-' )

追記:2018/12/21

投稿されまんた。

qiita.com