頑張らないように頑張る。

怠惰と努力の狭間

何でそんな簡単に「人」を嫌いになれるの?🤔

本当にその人が嫌いなの?

その人のどういう部分が嫌いなの?

物事の本質的な部分も踏まえた上で嫌いなの?


📺ひるキュンに出演したホリケン

news.nifty.com

田中みな実を逆さに抱き上げてホウキにしたり、

アンミカを逆さに吊り上げたり、

ダンボールを放り投げたり。


✂️この件で問題視すべきは「番組サイド」


「何を持っているかではなく、持っているものをどう扱うか」

この言葉はよく聞くだろう。


番組編成を考えるのは、番組サイド。
どういう客層にどういう情報を届けるのか考えるのも、番組サイド。
そのために誰をキャスティングするのか考えるのも、番組サイド。


ホリケンの番組を選ばず傍若無人に振る舞う芸風は、視聴者である我々でも分かる事であるため、テレビ業界人であれば分かるはずだ。

気が使える芸人を起用するなり、傍若無人な振る舞いは慎むように入念な打合せをするなり、番組サイドでコントロール可能なはず。


それなのに何故、昼の情報番組にホリケンを起用し、傍若無人な振る舞いを許したのか。


絶対に違う事は分かっているが、ホリケンを干すための陰謀論とさえ思えてくる。


😕他の番組ではどうか?

では、ホリケンが出演している他の番組ではどうか。

ぱっと思い浮かんだ「さんまのお笑い向上委員会」「アメトーーク」で考えてみる。


さんまのお笑い向上委員会」では、さんまさんを含め、他の芸人もホリケンの扱いを熟知している。 番組内で傍若無人な振る舞いをする事もあるが、批判の声は上がっていない。

アメトーーク」では、街ブラロケをしており、一般人に対しても同じように振る舞う。 しかしながら、これも批判の声は上がっていない。


ここで分かるのは、同じ振る舞いなのに、他の番組だと批判されないという事だ。


📚心理学でいう「原因帰属」「共変原理」

以前のエントリーでも書いたが、「ケリーの共変原理」というものがある。

これは、行為者の反応が内的帰属しているか外的帰属しているか、以下の3つの視点により見る原理である。

  • 一貫性:ある対象に対する反応は、他の状況でも変わらないか
  • 一致性:ある対象に対する反応は、他の人々と一致しているか
  • 弁別性:ある対象に対する反応は、その対象に限られているか

「行為者」は視聴者、「ある対象」はホリケンとなる。


「一貫性」で見ると、ホリケンの振る舞いは番組により左右しない。(=一貫性はある)
「一致性」で見ると、批判の声もあるが、そうでない声もある。(=一致性はない)
「弁別性」で見ると、ホリケンでなくても叩かれるであろう。(=弁別性はない)

一貫性のみ高く、一致性と弁別性が低い場合は「内的帰属」となる。


つまり、外的であるホリケンに帰属しておらず、内的である行為者自身の性格に帰属しているという事だ。


🙁「行為主義・行為者主義」の問題

以前のエントリーにも書いた内容。

人を叩くんじゃなくて、行為を叩かないと。

行為を叩くなら、行為者全員叩かないと。

「ホリケンだから嫌い」とか許されないよ。


🙂まとめ

みんなすぐに「人」を嫌いになり過ぎ。

嫌いになるなら「行為」から。

「行為の積み重ね」で「人」を嫌いになる事はもちろんあるけど、「一つの行為」だけで「人」を嫌いにならないように。


🤔そんな事より

お花綺麗に撮れたから見て〜〜

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フォーカスずらしたの〜〜〜〜